江戸期に高松藩が三本松に砂糖会所を設置したため、東讃地方で生産される砂糖の積出港として繁栄した。高松城下から阿波に至る東讃浜街道が村の南部を東西に通じ、街道に沿って町並みが形成された。
兵庫北関入船納帳に記された三本松からの入港のべ船数は20艘で、宇多津・塩飽・島・引田についで多く三本松は讃岐国の主要な港の一つであった。