街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   紺屋町  地図
 所在地  盛岡市紺屋町、肴町、上ノ橋町
 訪問日  平成25年5月26日


 江戸期は盛岡藩の城下町として発展した。
 盛岡藩は、領外からも商人を誘致し、伊勢・美濃や関東地方などから豪商が入って来たが、特に琵琶湖西岸から移って来た近江商人は寛文年間頃までに当地に居を置くようになり、元禄年間以後は城下商人の中でも中心的な存在となった。この近江商人達の中でも井筒屋は当城下を中心とした商圏の中枢に位置し、幕末には藩財政上不可欠の存在となり、明治維新後三井などと拮抗する大財閥の小野組を構成するに至った。 

 藩の物資の輸送の大半は北上川の舟運が利用された。城下の南の新山河岸(現鉈屋町付近)は旅人の往来や諸物資の集散で城下の表玄関となり、これを中心に川原町・穀町・馬町・呉服町・紺屋町・鍛冶町・本町などの町人街が発展している。 

 文化年間には、町人地と武家屋敷地の区別を明確にするため、文化9年には町人地の町名を、同10年には武家屋敷地の小路名の変更を実施し武家屋敷地は原則として町名を廃止し小路を付して呼ばれるようになった。

 紺屋町は、藩政時代からの町人町で商店街である。肴町は、藩政時代は、武家屋敷町であったが、現在はビジネス街となっている。 


県別リストへもどる 

 
 中津川からのござ九


 ござ九



   
 岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店  盛岡信用金庫本店
   
 紺屋町番屋  
   
 盛岡正食普及会(旧井弥商店)  
   
   
   
 小野組の現存する唯一の土蔵  もりおか啄木・賢治青春館(旧第九十銀行)
   
   


 TOPへもどる 県別リストへ戻る 
inserted by FC2 system