江戸中期から明治中期にかけて活況を見た日本海海運(北前船)は、松前〜大坂間の買い積み方式による中継貿易を主体にしたものであり、北前船の船主の存在が知られ、日本海の要港として盛況を極め、化政年間には、戸数400戸もあった。 その中心は、総持寺御用の森岡屋をはじめ、番匠屋、浜岡屋、中屋、角屋、樽屋、玉屋など海の豪商(廻船問屋)であり、船頭や水夫などには黒島周辺の漁民たちが従事した。