輪島川河口左岸に位置する。地名の由来は海士が居住したことによる。 寛永初期に筑前国鐘ヶ崎から来た海士が鵜入村に住むようになり、寛永11年から舳倉島・七ッ島に入漁。正保3年には光浦(ひかりうら)村へ移り定着。
漁はアワビの採取が中心。慶安元年から御菓子熨斗・長熨斗など御用鮑を献上し、役銀貢納により藩の保護を受けた。北方47km余の海上の舳倉島も当町の所属である。