地名は、沖に蛸の多い島があったからとも、沖の大蛸が、山の神と戦って敗れ、島と化したからともいう。正院、飯田とともにそうめんの生産が盛んであった。 海商嶋崎三蔵は、北陸地方の米、豆、藁製品、漁網資材、清酒などを積み、鰊漁の始まる5月下旬までに蝦夷に渡って売りさばき帰りには昆布、鰊、数の子、鮭、鱒などを買い入れて日本海沿岸の諸港で売ってくる。このような記録があり、昔から海運による交易が盛んな地域であった。