農業以外に安宅港を持ち、漁業・海運業が盛んであった。正徳2年十村支配を離れ、安宅町を改称し、小松奉行所配下となった。天明5年の小字名には川端町・山王町・東町・長田町・網町・札之木町・北浜町・米屋町・浜町があった。 災害は、文政5年に大火があり、237戸が全焼、他に寺2・土蔵2・納屋64と一町全域に近い被害を受けた。梯川はたびたび氾濫したが、家屋は小高い所にあったため、その被害は少なかったという。 「皇国地誌」によれば戸数392・人口1,814.うち士族は4戸・16人。職業は船乗業228戸うち兼漁業46と最も多く、ほかに大工職10戸・漕戸42戸・醤油小売商・油商・旅人宿業・肥物商・理髪業・酒造業・鍛冶職・魚類商・穀類商など種々の職種があった。 船は94艘。うち1,000石未満500石以上の荷船は2艘。500石未満200石以上は11艘、200石未満50石以上は34艘、50石未満30艘。海運業は、明治31年国鉄北陸本線が開通したため衰退した。