犀川大橋詰め、旧鶴来道の起点にあたるまちなみで、享保18年(1733)の大火後に新しく道路を造成したため、焼けた蛤(はまぐり)が口を開いたようだと「蛤坂(はまぐりさか)」と俗称されました。 犀川の川沿いに建つ「山錦楼」は、明治30年頃、2階建の町屋として新築、大正14年から昭和2年頃にかけて増改築され、現在の地上3階地下1階の料亭になった。 犀川から見ると4階建にも見える。かつて金沢には3階建の建物が数多くあったが、現存する建物は少なくなり貴重な建築物である。