当地には宿駅が置かれ、問屋場があり、馬25頭を常備した。また橘村御使者改番所が置かれ通行人を検問した。 「江沼郡誌」によると「橘は上下二部落に分れ、その駅は上橘にありしが、故に一に茶屋橘とも称す」という。鎮守の多知婆那神社は、上下集落の間に鎮座する。 明治13年国道が大聖寺から福井県牛ノ谷に通じる新道に代わり、従来の旧道の通行は減少し当地の宿場は衰えた。