大聖寺川の下流右岸に位置する。地名の由来は、古く越前の吉崎から分離して大聖寺川の瀬を越えて、当地に村を形成したという伝説によるという。 化政期以来の北前船は、明治30年ごろまで繁栄し、船主の広海二三郎は貴族院の多額納税議員にもなった。しかし、汽船の発達や鉄道の普及により不振となり、転業する者が多かった。