北国街道の南側の裏街道筋にあたり、東は石同町に通じる。天明5年の町絵図記載の東後町に当たる。寛政4年の書上げでは後町通4町65軒のうちに入り、後町はすでに寛文2年の間数改帳に見える町名で、早くから町方の拝領地に属していた。当町には遊郭があり、明治7年開業し、明治から大正にかけ繁盛したという。 現在は、遊郭を思わせる建物はなく、現代的な飲食街となっている。