白山西麓の山間地。中央を手取川上流の牛首川が北流し、両岸の山地からは多くの支流が同川に合流する。地名は、白山の山嶺に近いことに由来する。 明治29〜32年にわたる水害で北海道移住をはじめ離村者が増加。主たる生業の出作り農業(焼畑農業)は、昭和9年の322戸を境に同25〜26年ごろから急激に衰頽した。大正6年に初めて電灯がつき、同13年には県道が開通した。