街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   本吉湊 地図
 所在地  白山市美川北町
 訪問日  令和2年10月25日


 手取川河口に位置する。もとは藤塚といい、現在も藤塚山王社がある。明応8年、藤塚村と羽佐場村を合併し、山王社の別当元吉号の号をとって名づけた。承応元年佳字をとって本吉とした。
 江戸期に入ると手取川の流路も安定し、河口は船溜りとして利用され、停泊する船も次第に増加し浦方奉行が置かれた。承応元年には、本吉奉行が置かれ町立てとなった。 

 寛文年間には、南町・中町・北町の3町家数217戸があったが、延宝年間になると新町・永代町・今町・神幸町・浜町の5町が増加、元禄年間には末広町・和波町が加わり10町となる。享和3年には家数1,017に達した。
 江戸中期には年間の出入船舶数が1,500に及び、その船税額は加が第一の港町として繁栄した。竹内屋・古酒屋・明習(習の右に元)屋・清水屋・上野屋・川原屋・角屋などの廻船問屋が軒を連ね、和船の造船所もあった。しかし、浜風が強い所に人家が密集し町を貫流する河川がないために、しばしば大火に遇った。 

 本吉港は加賀米の移出港として、肥料・海産物・木材などの移入港として栄えたが、江戸中期ごろに手取川は現在の流れに近い、1本の主流となり、次第に土砂の堆積が増し、深刻な問題を生じた。船の出入が困難になり、港もさびれ、次第に衰退していった。


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本吉湊の街並み


   
 藤塚神社 北前船主の館が軒を連ねた地区( 郎平辻の石碑)
   
伝統的家屋の濱上家 
   
 
   
桜小路
   
   


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