街並みの名称 | 東新町 | 地図 |
所在地 | 白山市東新町 | |
訪問日 | 令和2年10月25日 |
明暦2年城址外堀の外郭に1町8反3畝20歩、高27石5斗7升6合5勺の土地を拝領地として受け、99軒の居屋敷を建て、新町が成立した。以来新町の創始を記念して8月14日に草市が立ち、盆の市と称されたが、明治初年には絹市とも呼ばれ、古着を主に扱った。 金沢城下から野々市・松任・下柏野を経て上方に向かう北陸道上街道の宿駅として、松任町・下柏野村は交通の要地であった。特に松任町は宮越(金石)、本吉(美川)・鶴来からの街道が集まり、近世中葉以降は、手取扇状地の中核的な在郷町としてその重要性が増す。 正保元年(1644)3代藩主利常が江戸よりの帰城に際し、御旅屋を設け、上下行の時の宿泊に当てるのと同時に、寛文7年より、松任周辺を鷹野に指定、その後、鷹野の区域は手取川より海岸まで現在の市域の大部分を含む範囲に広げられ、その際の休憩所としても利用した。 この御旅所は宝永7年(1710)廃止、その後、笠間屋(青木家)などを本陣として利用した。本陣笠間屋の遺構は一部をとどめる。 文化13年(1816)に質屋数38軒を数えたことは、この町の近世末期の商工業の発展を示す例であるが、特に商工業としては、菜種油製造と松任紬・松任小倉・松任染などの繊維産業に著しいものがあった。 |
東新町(並木通りの街並み) |
旧加賀藩本陣(臨川書屋) | |