康和2(1100)年に能登国から封物代として送られてきた「石納釜」を初見とし、平安末期の「新猿楽記」の「能登釜」「堤中納言物語」の「能登鼎」をはじめ、「能登の国の釜」の名は文献にしばしば現れる。 能登釜は、塩釜の生産を主体に広く知られており、中居浦がその生産地であった。