街並みの名称 | 中志筑(なかしずく) | 地図 |
所在地 | かすみがうら市中志筑 | |
訪問日 | 令和5年11月11日 |
慶長7年(1602)佐竹氏は出羽秋田に移封される。代わって出羽国仙北部の本堂氏が志筑地方8,500石の知行地を与えられた。正保2年(1645)志筑城跡(旧益戸氏居城)に陣屋を構え、以後慶応4年(1868)7月まで同氏が当地域を支配した。 本堂氏は源頼朝の血を引くということで、代々交代寄合衆として大名に準ずる格を得ていた。安永年間(1772〜81)、旗本2,908名中6番以内の大身に属しており、天明2年(1782)以後、柳の間詰となっている。 本堂氏は、旗本であるものの大名と同じような領地支配をしていたが、江戸屋敷詰が多く、財政も困窮していた。のち幕末の混乱期には新政府につき、明治維新後、加増されて1万110石の大名となり、志築藩が成立する。 街並みは、大型の屋敷が連なっている。門構え・土塀や板塀の家、しかも街並みの保全が良く行われている。 |
中志筑の街並み |
板塀の街並み | |
長屋門 | |
観音堂 |