街並みの名称 | 潮来 | 地図 |
所在地 | 潮来市 | |
訪問日 | 平成30年12月13日 |
古くは伊多久(いたく)・板久と称し、天正18年板久、元禄11年水戸藩主徳川光圀の命名で潮来と改称。常陸利根川の左岸に位置する。潮来としたのは、光圀が鹿島に潮宮があって常陸の方言で潮を「いた」と読むことに興を覚えたことによるという。 江戸期には、東北と江戸を結ぶ水上交通の要地として栄え、陸奥仙台藩・同南部藩などの蔵屋敷が置かれ、旅館も立ち並び、水戸藩公許の遊女屋もできた。潮来遊郭の開設は、ほぼ寛文年間以降と思われ、開業当時の遊女屋は8軒で蔦屋・荒木屋・俵屋・柏屋・松屋・橘屋・東屋・四ツ目屋であった。 江戸期を通じて、6〜10軒ほどの遊女屋が稼業しており、正徳5年は9軒、遊女の人数85、禿26、客数2万4,250人となっている。 江戸吉原に似せて大門を造り、仲茶屋を置く形態で、天保12年には45軒の仲茶屋があった。しかし、江戸中期頃から銚子(千葉県)から利根川水運を利用せず、直接江戸湾へ入港する航路の利用や元文年間の大洪水による利根川の南下などで、入船数は次第に減少した。 現在の潮来の街並みは、わずかに痕跡が残っているだけで、ほとんどの建物は撤去されたか、現代風の建物に変わっている。過去の解説をした説明板だけが過去の賑わった街並みを偲ばせてくれる。 |
潮来あやめ公園のろ舟乗り場 |
この辺りが「 旧跡大門河岸」 | |
思案橋 | 大門河岸公園 |
唯一残っていた遊郭の門か | 敷地の奥に社がある |
モザイク柱のある建物 |