里川上流域の谷底平野が幅を広げた所に位置し、南流する里川の自然堤防上や、山麓に集落が置かれた。棚倉街道の宿駅が置かれた。はじめ、岩城氏領、慶長7年松岡藩領。元和8年からは水戸藩領。
文化11年に大火があり宿並みはほとんど焼失したという。
現在の街並みは、中心地にある大中神社付近に、宿を思わせる街並みが残っている。