街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   常陸太田市 地図
 所在地  常陸太田市
 訪問日  令和5年11月5日


 鯨ヶ丘は久慈山地の末端、常陸太田市内の標高約20mの台地である。台地の頂部は平坦で、形が平地に寝そべった鯨のように見えることから鯨ヶ丘と呼ばれるようになったという説がある。

 中世には佐竹氏の城下町であった太田は、近世には棚倉街道の宿場となり、海岸地帯と藩領西方の内陸部との中間点に位置することから、物資の集散地として、2・7の市がたつほど商業が盛んであった。

 藩領北部から産出される紙・煙草・蒟蒻・紅花・松茸・火打石などの特産物は、一度太田へ集荷され、荷口銭をとって問屋が江戸・大坂その他へ売り出している。また他領産物の仕入れも、城下町を通さず直接江戸から買入れ、さらにこれを陸奥・磐城・会津方面にまで荷送りするなど遠隔地との中継・取引きが行われた。海岸地方からの魚荷も太田肴町で荷改めの後、西方領内の出荷するのが許されていた。 

 台地の中央を棚倉街道が走り、鯨ヶ丘の頂部には二筋の街並みが形成されている。鯨ヶ丘は近世は商業の町として、明治以降も役場や商店が並ぶ中心市街地であったが、現在では郊外の低地にバイパスが通り、その沿道に大規模商業施設が集積し、役所も移転し、市の中心は低地に移動した。その結果鯨ヶ丘は商業地としては衰退したが、現在は二筋の街並みは、鯨ヶ丘商店街といわれているが、旧太田町役場や江戸期・明治期の商家建築などが、商店街にありレトロな街並みを形成している。


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常陸太田の郷土資料館(梅津会館・旧役場)


   
 十王坂  西一丁
   
大震災の被害を残した住宅 立川醤油本店
 
 塩町館 東の辻
   
旧棚倉街道
   
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