大屋川とその支流明延川の合流点付。地名は大屋郷の中心地点にあたり、市がたったことにちなむという。 特産物大屋博多は、文政9年に市位重兵衛によって始められ、幕末には本場九州の博多織と対等に取引きされるまでになった。 明治14年の取引先は、大丸・三越・白木屋・松坂屋など、当時の有名呉服店であった。