姫路から北西美作方面へ向かう美作道(因美街道・因伯雲作往還)の宿駅として本陣が置かれていた。御定人馬数は、人足25、馬25であったが、元禄年間には、馬20と減り、藩では馬1匹につき大豆1石5斗を給していたという。