地名の由来は、大昔津波によってできた砂浜の形に浜と坂の部分が各々あったことによるという。 幕末から明治中期にかけて浜坂針が盛んに生産され、明治30年代には専業98戸・500人、兼業500戸・900人とピークを示したが、大正4年には9工場と衰退して町に再建の陳情書も出された。 昭和11年高速度三連機の導入や機械化が図れ、戦後は広島針の壊滅により、同26年に最盛期を迎えたが、再び衰退、現在は宝石針などの多角的生産が行われている。