地名の由来は、尾州熱田の大宮司藤原秀範の次男次郎範秀が、名を田野入道と変え、当地に永住し、はじめは熱田に住み、のち東の谷の田野に移り、入道家臣小子藤内が田畑を開いた地は小子と呼ばれた。 応永年間から金・銀・銅・鉄が掘り出され、人々が集まり栄えたが、天文9年の大洪水で人家は流失、田野・小子に残った人々が新たな地に家屋を設けたので新屋という地名ができたという。