地名の由来は、建長7年北条時頼がこの地に逗留し、伽藍が再建され、寺の前にある村であることによるという。 江戸期は、はじめ姫路藩領、寛永17年因幡国鳥取藩領、寛文3年福本藩領、同6年からは旗本(福本)池田氏知行(慶応4年から再び福本藩領)。最明寺文書によれば、宝暦12年・寛政10年・天保13年に寺仏の開帳が行われ、芝居興行、羊の見せ物、熊と女のすもう、読うり、のぞき、手ずまし(手品師)などの催し物の記録が見える。