当地は、中国街道(山陽道)の主要基地としての機能を継承し、江戸期を通じて宿場町として賑わった。
昭和45年銑鉄一貫の神戸製鋼所加古川製鉄所が進出したことにより、関連企業も続々と操業を開始し、工業都市への道を歩みはじめた。