地名は、はじめ汐咲、のち塩崎と改め、さらに塩生産量の増大とともに大塩と呼ばれるようになったという。
江戸期には、当地の主産業は塩で、文化年間の塩浜面積89町余、運上銀31貫118匁で、姫路藩領の村々では最高であった。