街並みの名称 | 三木家住宅 | 地図 |
所在地 | 神崎郡福崎町 | |
訪問日 | 平成年月日 |
三木家は、姫路城から南へ6キロ英賀にあった岩繁城主の子孫である。豊臣秀吉の中国攻めで岩繁城は焼け落ちた。戦後、姫路城主榊原忠次の開墾の呼び掛けに応じ農地を開墾した。3代甚右衛門の時に庄屋を努めるようになった。 播州15万石の領地に17軒あった大庄屋の代表として1万石を有した。また、本陣も勤めていた。 |
三木家 |
蔵の並ぶ屋敷内 |
玄関 | |
土間 | |
三木家の前の通り(銀の馬車道) |