地名の由来は、広大な山地の入口にあたるという意味であろう。 但馬街道沿いの宿場のため、村人の大部分は、宿にかかわって生計を立てていた。当村に入ると街道幅は広く、用水路が片側を通っていた。年2回夏冬に盛大な市が立ってにぎわった。 村は上池・中地・下地と分かれていて、市の立つ場所も交替であった。当地には現在も「ふるてや」「とうふや」「たたみや」など宿場町の名残と思われる屋号が残る。養蚕は明治30年代から盛んになりはじめ、大正期・昭和初期が最盛期であった。