虎臥城ともいう。室 町期〜戦国期の山城、朝来郡和田山町竹田の標高353mの古城山に位置する。嘉吉年間、但馬の守護大名山名持豊(宗全)が部将の太田垣氏に築かせたのが始まりといわれる。
城は、天守を中心に本丸・二の丸・三の丸・北千塁・南千塁・花屋敷などに石垣を伴った曲輪を配置し、現存する大手枡形や不等辺三角形の本丸曲輪の縄張、石積技法などから天正年間から慶長年間にかけて築造したと思われるが、規模の壮大さと構築の巧緻さは戦国期の山城の典型で昭和19年国史跡に指定された。