生野銀山創始は、大同2年とされているが、詳細は不明である。 天文12年良質の銀鉱石が発見された。但馬守護山名祐豊は当地を直轄領として支配し、石見大森銀山から金堀り下財や製錬技術を持つ金吹きを招いて振興に努めた。 その後、銀山の所有者は竹田城主太田垣市、羽柴氏、徳川氏と移っていく。 慶長年間には、年貢米のほかに年間1万石の買入米があるなど繁栄し、人数も2万人に近かったと推定される。