元和7年初代明石城主小笠原忠真の築港に始まる人口港で、当初は当津港と呼ばれていた。漂砂に悩み、寛永年間・万治年間に改修がなされている。享保6年、明石藩主松平直常の時より港の砂をさらう永代堀りが始まり、以降瀬戸内海航路の中継港、避難港、淡路との連絡港として栄えた。 西の明石港内に半島状に突き出た2丁目(中崎2丁目)には高層住宅があり、明石海峡の対岸、淡路町岩屋と30分足らずで結ぶ海上の国道28号、明石フェリーの発着場がある。