江戸期に藩は、年貢米の輸送や宿駅制度を整備するため道路改良に力をそそいだ。 尾道、三次、石見に至る石州街道の整備が行われた。道幅は7尺で、宇津戸〜甲山〜赤屋〜別迫を通る道筋であった。 宇津戸は鋳物で栄えたようであるが、鋳物師の丹下氏が定住するようになった時期は明らかではない。室町初期、応永31(1424)年には海裏荘に鋳物屋がみえる。