街並みめぐり


 街並みの名称  玖波 地図 
 所在地  大竹市玖波
 訪問日  平成20年3月20日 

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 江戸期の浅野氏時代には家老上田氏給地となっている。
 山陽道玖波宿の宿場町で上之町・中町・本町・胡之辻・下之町・風呂町・上裏町・下裏町・川本町の町場を形成し、農業よりも奥筋から積み出される山荷物・板材木・炭・薪・茶・塵紙の問屋商、雑穀・干鰯・塩などの交易を主業とし、漁業・山稼ぎや通行人馬の荷物持ちも行い、口屋番所・上田家炭納屋役所が置かれた。

 本陣は、寛永9年家老上田氏が庄屋平田家の居室に茶屋を設けたのが始まりで、その眺望が勝れていたことから宝暦9年に家老上田家の儒臣福山貞儀が洪量館と命名、文人墨客の集まるところとなった。

 長州戦争では、関門・番所が設けられ、慶応2年には激戦地となり民家423軒を焼失し、1,688人が羅災し、この時本陣・口や番所・上田家炭役所も焼失した。


玖波の街並み

   
 
   
 
 

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