江戸期から船稼ぎが盛んで幕末から明治初年にかけて、九州・阪神間の石炭船の食糧・飲料水などの補給港として賑わい、明治30年代以降、中小造船所が設立されて、造船の町となった。日露戦争後、一時期は不況に見舞われたが、第1次世界大戦の勃発によって、船舶用鋼材の入手が困難になったことから、木造船の需要がにわかに増大し、大正6年の造船ブームのピーク時には、造船所の数は25に達した。