1891(明治24)年に鉄道が開設され、市街地と山側を分断する形となった。この鉄道開設に伴い、立ち退き家屋の建設が山側で始まり、また、商人たちの別荘建設が始まり、山手側の景観を変えていった。
千光寺新道から志賀直哉旧宅に行く小道に酢瓶を使った塀がある。千光寺道沿いに、かつての出雲藩の屋敷の白塀が残っている。石見銀山の役人の宿泊所であったらしい。