中野は、中野川流域に集落が発達する。海岸は、かつて塩浜として利用されていた。明治から昭和初期にかけての中野は、農業はもとより海運業も盛んな地で、十数軒の船持があった。船稼ぎは、九州から石炭を積み大阪に運んで、帰り荷として大阪から日用雑貨を運搬することが中心であった。 この地は、海運業や果物問屋を営んだりして富を蓄えた家が多く、長屋門を構えた豪壮な民家が多数残され、風格のある集落景観を形づくっている。(瀬戸田町史)