現在は、静かな海里であるが、江戸時代には、因島を代表する廻船(海運)の基地として賑わい、千石船を20〜30艘を有し、人家は300軒あったと伝えられている。 当時の繁栄を物語る、尾道の石工棟梁、山根屋源四郎尚政の作の常夜燈がある。