尾道の賑わいは、大田庄の倉敷地として鎌倉時代に整備されて以降のこととなる。江戸時代には北前船の寄港地として繁栄した。
出船入船の港町の賑わいは、北前船の荷主・船頭らを丁重にもてなすべく問屋連中による接待が夜毎に繰り返されたようである。この狭い地域に、現在も飲食街が密集しているのは、瀬戸内海でも稀な例である。地元の人は、「久保」とも呼ぶが「新開」とも呼んでいる。