元和5年(1619)浅野長晟が紀州から安芸国に移封された時、苗を紀州に求め、安芸郡下蒲刈島に試植したのが広島ミカンの始まりといわれている。 江戸期に起源をもつ当町域のミカン栽培は、明治20年代後半以降さらに発展し、広島ミカンの中心的位置を占めるに至った。特に明治36年、大分県津組村(現津久見市)から早熟種温州ミカンが導入されて以後、急速に広がった。そのため、この前後から、農用船を使って他島への「渡り作り」が始まった。