広村の長浜は、「国郡志仰用書上帳」に「広枝郷長浜は大半漁方にて、およそ釣舟百艘もあり、其の外四・五艘網船を営み、紀州・播州・宇和・佐伯辺へ積み出す、女職のすき出す鰯網を買い集め諸国へ積み行き交易するなり」と述べられているように漁業を生業とし、かつ鰯網を生産し商う集落であった。
長浜の魚問屋は、近隣の漁師たちが水揚げしたものを1日に一度ずつ市を立て、「近村并びに黒瀬・西条辺より仲買に参り候商人共」に売り払った。
ここでは長浜および広村の人々への小売はなされなかった。問屋以外の魚商人は、沖合いで「直買い」して、それを村内に小売し、あるいは「廻船」といって、沖合いで購入した魚を広島や尾道・讃岐辺へ積んでいって商売した。(呉の歴史 呉市制100周年記念版)
漁港として昔は賑わいをみせたようだがが、今はそのなごりは見られない。
わずかに漁網会社の看板や旧道のハイカラな住宅、3階建の住宅にその名残をみることができる。
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