平地に恵まれない地域のため、沿岸部の内海・三津口を中心に、干拓・埋立による新開の築調が相次いだ。寛文9年(1669)藩営で築調された内海村新開をはじめ、同じく藩営で14年の歳月を要して元禄5年(1692)に完成したと伝える内海・三津口寄合新開、文化13年(1816)に完成した三津口村の水尻新開、同15年に完成した同村の小日之浦新開、「芸藩通志」に記す三津口村・内海村日之浦新開などがその代表的なものである。
三津口は、海上交通と深い関係をもつ在郷市として位置づけられ、町の長さは2町、町屋の数は120軒であった。
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