島の南端の陸繋砂州上の集落、鹿老渡は、日ノ浦、下浦の南北の天然の良港をもっていたため、西廻り航路の開設に伴う沖乗航路の重要性の高まりのなかで注目を浴びるようになり、享保15年には本浦の者36人が庄屋に願い出て移住し、本格的な開発に着手した。
当初は、本浦船座の不況打開策として本浦の出店とした造船業が中心であったが、地の利により業績があがり宝暦頃には本浦の船大工との間で争いを起こすまでになっている。しかし、物資中継地としての問屋的機能が発達しなかったため、単なる避難港に止まり、造船業が衰退し、帆船の寄港が減ってくるとともに、農業と漁業中心の集落に性格を変えていった。
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