享保12年の山県郡村々万覚書によれば、大朝市の規模は、長さ6町、幅3間、家数90、酒屋1、蛭子堂1で愛宕権現の祭礼の3月には牛馬市が開かれ、芝居興行があって、遠近よりの人々でにぎわった。 この他、旧大朝町には、新庄市と大塚市があった。