江戸期は、広島藩領で蔵入地であった。寛永年間には町場が形成されていて、近世初頭の本町に加え、新町・裏町・片側町が成立している。
特産の髢(かもじ)は、明治30年代から海外へも輸出されている。同44年の製造戸数85・職工数460であり、地域の最大の産業であった。