街並みめぐり


 街並みの名称  仁保 地図 
 所在地  広島市南区仁保1・2丁目
 訪問日  平成20年1月5日 

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 古くは仁保島村と呼ばれ、仁保島のほか猿猴川対岸の向灘(向洋)・堀越、南方海上に浮かぶ似島・金輪島・宇品島・峠島・大珈玖摩島・小珈玖摩島(弁天島)からなる。

 仁保島沖から江波島にかけての西潟・内潟では貝を取り、魚?による雑魚漁、牡蠣、海苔の養殖が行われる。鰯網は仁保島・似島・金輪島で行われ、多くは干鰯にして遠隔地へ、一部は生で近辺へ売られた。牡蠣養殖は仁保島では寛永年間淵崎の吉和屋平四郎が始めたと伝え、初期のうちは草津の大坂登せ牡蠣の不足する時にこれを充て、享保年間頃から直接大坂牡蠣船を出すようにもなった。主として広島城下に販路を開き、また藩の御用に供した。

 享保年間頃から幕府への献上品として用いられた「仁保島海苔」は、口碑によれば万治元年本浦の人長三郎が創始、同3年同浦御茶屋半三郎が箙海苔を製し藩主に献上、その後文化8年に淵崎の芦屋忠四郎が箙海苔を薄く精製した漉海苔の製法を発明したものという。これによって広島海苔の名声は一層高まり、他国への贈答品として珍重された。


仁保の街並み

   
 
   
 海苔の蔵
 

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