狩留家は、寛永12(1635)年に賀茂郡や豊田郡の年貢米の城下に向けた津出湊(川湊)に指定され、享保15(1730)年には舟株が12艘認められ、宿駅も置かれた。本陣役は、割庄屋の黒川家が担当した。 狩留家の古い街並みは、県道の旧道沿いに残っており、広島方面から旧道に入るとすぐに見えてくる大きな屋敷が旧本陣の黒川家である。