地名の由来は、中世の定期市にちなむ。沿岸部を山陽道が通る。享和2年に尾張の商人菱屋平七が著した「筑紫紀行」に「五日市村、人家百軒計道の北に町を成して、みちの南は塩浜なり」と記している。 五日市町史によれば、海老塩浜を含む五日市港の周囲の新開地の造成は17世紀であり、港の主な活動もその頃からと推定される。そして、製塩用の石炭を積んだ大島の石炭船や干鰯(綿作用の肥料)を積んだ北前船も入ったという。