国鉄井原駅付近は西から栄堂川が三篠川に合流し、大正初期までは川湊であった。小学校、各種商店、郵便局、農協支所などがあり、柴草市の名残がある。
井原は、三篠川の舟運の中継地として繁栄した町であるが、起源は中世に至り、領主井原氏の居城、鍋谷城の城下の市である。
宝暦2(1705)年の町の規模は2丁(約220m)で32軒との記録が残っており、出雲街道の大林に道が通じていた交通の要衝で、志路、古屋などの集落を背後にもち、周辺から物資が集り、市も立ち、川舟に積み替える中継地でもあったことから、三篠川筋を代表する在郷市であった。井原市の古い街並みは県道の旧道沿いに残っている。
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