古くは合ノ浦・葦ノ浦とも称したと伝承する。東は瀬戸内海に面し、厳島に相対する。北を御手洗川が流れる。合ノ浦の地名の由来は、神社への魚介類を饗物として供する饗の浦、あるいは塩魚類を総称する古語の合物を出す合ノ浦などによるかと考証されている。地御前の地名は厳島神社が島方にあるのに対しその外宮社(地御前神社)が地方にあることから地之御前と呼ばれたことによる。
地御前神社近くの海浜に沿って人家が立ち並び町家を形成している。
漁業は近海漁業を主とし地御前イリコを制したが、山口県・愛媛県方面への出稼ぎ漁業も行われた。大正11年頃からは地御前牡蠣の養殖が盛んになった。海外移民も盛んで、大正10年の現勢調査簿によれば1,060人が移民し、9万7,509円の年間収得金を上げ、俗にアメリカ村と呼ばれた。
|