向原は、古くは坂村と呼ばれ、三篠川の舟運の最上流である長田村に近接した在郷市であった。当地は中世より毛利氏の支配下にあり、永享2(1430)年の毛利光房の譲状に坂郷の名が確認される。長田村は、江戸時代後期の文政年間(1820年頃)には、20艘の舟株が認められており、芸北地域や遠くは石見地方の物資や周辺から産する鉄、蝋、炭等を川舟に積み替える中継地となっていた。
向原の町並みが位置するのは、江の川水系と太田川水系(三篠川)の分水嶺の台地上で三篠川とは高低差があり、向原の町の直近にも川湊があったようだが位置は不明である。宝暦2(1705)年の町の規模は2丁(約220m)で30軒との記録が残っている。
|