明治24年の戸数561・人口2,245。出口川に沿って織物・染料・煙草などの製造工場が集り、それを囲むように集落が密集した。出口家畜市場では近郊から集められた牛馬の取引が行われ、芦品郡畜産振興に大きな役割を果たした。刻み煙草業者が多く、尾道から出荷した。